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ソニープラザの歴史

ゲスト:田島 慎一さん
プラザスタイル株式会社コーポレイトオフィサー。
1972年入社。
渋谷109の店長。銀座店の店長。商品開発部部長を経て、2002年から執行役員。

ソニープラザオープン1966年。今年で40年。
ソニープラザは全国に64店舗。
田島さんのあだ名はお菓子博士。
父が薬問屋でアルバイトを紹介してくれた。そのまま入社。

銀座のソニービルの地下にソニプラを提案したのは盛田昭夫で、当時アメリカに頻繁に行っていて、ヒルトンホテルにドラッグストアがあって、薬局と輸入菓子があってわくわくするものがあるのをソニーで紹介したいというソニーの広場でソニープラザ。3ヶ月で準備をした。1ドル360円の時代で自由に輸入できない時代に作り上げた。今は1万数点並べているが、当時は物が少なく棚に並べるのに苦労した。
リビーのコンビーフ。

800円から1000円。取り合いになった。
アメ横で仕入れていた。
2月14日のバレンタインデーはソニープラザが仕掛けた。1975年前後。
紀ノ国屋、明治屋には負けないものをとチョコレートで勝負した。大幅売り上げアップ。平台に並べるようになった。

ハワイのハワイアンホースのマカデミアナッツはソニープラザが仕掛けた。

1981年の雑誌『ポパイ』でジェリービーンズをレーガン大統領が食べているという記事でビーンズが流行った。

激辛のポテトチップス。リップスチップス。当時1缶1万円。



お菓子のベストセラー。
国産20億以上、輸入品は1億以上売れるとヒット商品。
ハーシー、チュッパチャプス(サルバトール・ダリがデザインした。)リンチ99パーセントカカオ。国産だとグリコのポッキー、ネスレのキットカット。フリスクは100億以上。
(2006年6月27日 文化放送「吉田照美のやる気MANMAN」午後2時の興味津々より抜粋)