Jamie















リポーター:エド・ブラッドリー記者

職もなく住む家もない15人の若者たちに料理を教え、フィフティーンと名づけたレストランをオープンさせる。ジェイミー・オリバーの計画はドラマ性たっぷりのドキュメンタリーとしテレビ放映されました。

日ごろから上品なイギリス英語を使わないジェイミーですが、店がオープンした時彼の口調はもっと乱暴に。
「ほんのちょっとだけ(悪態を)。でも仕方がなかった。あの頃はストレスでいっぱいだったから。」

彼の生い立ちはロンドン訛りや都会風のものからはかけ離れたもので、エセックス州で16世紀から営業しているパブレストランで幸せな少年時代を過ごしました。オーナーシェフの父親が作る料理パブで出される料理とは一味違う美味しさ。ジェイミーは幼馴染で妻のジュールズさんと両親の元を度々訪れます。彼は8歳から洗いものを始めました。

子供の頃、学校よりも父親の手伝いをするほうが好きでした。難読症のため特別授業に参加することをほかの子供たちからからかわれていたからです。

ロンドンの人気のリバーカフェを紹介する番組で、当時21歳のまだ無名のシェフだったジェイミーがロトロという料理を作ったのです。放送の翌日、自分自身の料理番組をやってみないかという電話で鳴りっぱなしに。中には冷やかしの電話もあった。BBCから電話があった。

そしてあの「裸のシェフ(The Naked Chef)」が誕生したのです。無論、裸になるのは料理そのもの。その後、彼の料理番組が続々制作されました。番組のレシピ本は番組の常連となり、料理にはまった読者はオーブンをフル活用するまでになりました。

今では男の料理は珍しくない。ジェイミーのファンは若者だけではありません。ご婦人方も。
ジェイミーにとって新鮮な食材は命。

BBCの番組「グルメおばさんイギリスを行く」で名声を確立したフラリサ・デュクソンライトはジェイミーが大手スーパーとCM契約を結んだことで結果的に養殖の魚を推奨していると非難。もっとも、ジェイミー自身が好んで調理するのは天然の魚ばかりですが、魚を食べないよりも養殖でも食べたほうが良いと言います。
「本当に意地悪なくそばばあだ。」

若者たちをシェフにするジェイミーの考えにどうせ長続きしないだろうという批判も。ジェイミーは毎年15人の若者を見習いとして採用しています。今は3期生。そのうちの何人かは耐え切れずにドロップアウト。犯罪者としか未来がない若者の人生を変えたのです。

毎年、秋に研修生を連れてイタリアのトスカーナ州のワイナリーやオリーブ畑を訪れます。研修生は使っているオリーブがどのように作られているか教わります。
「ロマンを感じる。ワイン作りは堅実さにあって、道を究めることは決して困難ではないとわかる。」

週末は妻と二人の娘とエセックスの別荘で過ごします。週末にはパンを焼いたり、料理をする。イギリスの子供たちの食生活の改善を目指しています。学校給食は不健康なジャンクフードだと発言して、彼は国民的なヒーローになりました。さらに安い値段で美味しい食事を出せることを証明するためにロンドンのある学校で給食を担当。新鮮で健康的な食事を提供しています。彼はアメリカの学校でも実施するように提案していますが、事態が変わることを期待してはいけないと言います。親が電話でいつまともな給食に戻るのと抗議されたことも。

彼の店は何週間も前に予約でいっぱい。例外は認めません。クリントン元大統領の急な依頼にも席を用意しなかったくらいです。今回我々は6週間前から予約を入れました。



1月にアメリカのマーサ・スチュアートの番組に出演する相変わらずの売れっ子。マーサはインサイダー取引で有罪になった。学校給食改善は「ジェイミーの給食革命」という番組になったWOWOWで見られるそうです。
利益追求だけではない。企業倫理の鏡のような存在です。

(2006年8月放送、TBSテレビ「CBSドキュメント」ジェイミー・オリバー Jamie Oliverより)
(ジェイミー・オリバー関連商品)



お金もなくチャンスがない若者に機会を与えてる。そして、子供たちの給食の改善をする。凄い。彼のチャーミングな人柄と考えが素晴らしかったからこそ、ここまで社会を動かしたのかと思った。日本にも社会のムーブメントを起こせる料理人がいたら。日本では料理人の地位がそこまで高く見られていなく、社会貢献、社会を動かせるような人材も少ないというかほぼいないに等しい。